但馬の奥座敷散策〜湯村、豊岡、出石〜

行程  2012.3.6〜7
1日目  自宅姫路駅→<播但線・山陰本線>→浜坂駅→<全但バス>→湯村温泉
2日目  湯村温泉→<全但バス>→浜坂駅→<山陰本線>→豊岡駅→<全但バス>→出石→<全但バス>→
 豊岡駅→<山陰本線・播但線>→姫路駅自宅

1日目・2012.3.6(Tue)

 今回の旅の目的地は、兵庫県北部にある「湯村温泉」だ。職場の保養施設があり、そこでのんびりと母の誕生日祝いを兼ねた旅行だ。
行きは、ただ目的地を目指し、帰りは、但馬の小京都と称される「出石」を散策する。

はまかぜ号  10時44分姫路駅発、特急「はまかぜ」号、浜坂行きに乗車。天気を心配していたが、快晴!ありがたい。ちなみに、「はまかぜ」号は、東海道・山陽本線と山陰本線の間を結ぶ播但線を経由し、阪神間と山陰地方を結ぶ特急列車として活躍している。
 阪神地区と山陰地方を結ぶ路線は、他に「福知山線」「智頭線」などがある。とはいえ、最短距離となるのは、やはり播但線ではないだろうか。少し余談になるが、鉄道が敷設し始められた明治のころから、この阪神地域と山陰地方という南北を結ぶルートというのは、盛んに開発が進められてきた。やはり、瀬戸内(太平洋)から大陸(中国や朝鮮)へ物資を運搬するには、欠かせない流通経路だったのだろう。
 さて、余談ついでに、もう一つ。この特急「はまかぜ」号、昭和47(1972)年に登場し、福知山線経由で走っていた特急「まつかぜ」号の補完的な役割を担う目的で導入。福知山線が電化され「まつかぜ」号は姿を消すが、その後40年の間、粛々と阪神地域と山陰地方を結び続けている。現在は、最新のディーゼルカーに移行され、とても快適になったが、平成22(2010)年11月6日までは、キハ181系と言って、30年前に製造された車両が運行していた。これは、ひどかった。味があったと言った方が良いかもしれない。快適な列車が増える中、30年も前の車両を使っていたのだから、仕方ない。
 新型車両が導入されたとは言え、電化されていない区間があるため、ディーゼルカーでの運行だ。電車のようにスイスイ走るというイメージはないが、これはこれで風情がある。播但線はともかく、山陰「本線」と言いながら、単線の区間があり、スピードもほどほどだ。特急列車とはいえ、すれ違いのため、対向列車を待つこともある。こういうのが、鉄道旅行の楽しみの一つでもある。そして道中は、駅弁を頬張りながら、車窓を楽しむ。
 さて、定刻どおり、姫路駅を出発した列車は、播但線を北上し、福崎、寺前、和田山と停車し、山陰本線に合流する。福崎は、日本民俗学の第一人者である柳田(やなぎた)國男の出生地だ。この播但線は、歴史的にも面白い路線で、古くから「銀の馬車道」と呼ばれ、銀山として有名な生野を通るため、採掘した資源を運ぶルートとして重宝されてきたのだ。
おかめ弁当
 もとい。和田山を出ると、川が見えてくる。円山川だ。しばらくすると、列車は豊岡駅に到着する。「山陰地方」といっても、京都府から兵庫県、鳥取県、島根県、そして山口県ととても広範囲をさす。とくに、京都府の一部から兵庫県の辺りは、「但馬地域」と呼ばれ、古くは「但馬国」として栄えた。明治になり廃藩置県の際には、「但馬県(縣)」とされたぐらいだ。紆余曲折の末、その大部分が「兵庫県」となるのだが…。その但馬の中心といえば、「豊岡」だ。ただ、豊岡が中心となったことは、明治以降のことで、鉄道が敷設されたことが大きく影響している。
餘部橋梁から  さて、豊岡を過ぎると、次の駅は「玄武洞」。こちらは、天然洞窟があり、いわゆる日本海の特異な地形形成の一つ。山陰地方は、日本海に面していて、とくに京都府京丹後市から鳥取県鳥取市辺りは、山陰海岸国立公園として指定されており、景勝地としても有名だ。また、平成22(2010)年10月にはユネスコの支援のもと、世界ジオパークネットワークに加盟認定され、単なる景観の美しさだけでなく、地質学的な価値としても貴重なものであることが分かる。もちろん、山陰本線を走る列車の車窓から、これら山陰海岸の景観を楽しむことができる。
 また、日本海の雄大な姿も眺めることができ、旅情をかきたててくれるが、玄武洞を過ぎ、しばらくすると、小説のタイトルとしても有名な城崎(きのさき)に到着。
 関西にお住まいの方は、難なく「きのさき」と読めるが、他の地域の方には、少々難しい地名なのかもしれない。いずれにせよ、関西近辺では、温泉街としても有名で、「有馬」と並び賑わっている。城崎は、歴史があり、小説の舞台となるだけのこともあり、とても良い町で、わたしも好きだ。ただ、せっかくなら、もう少し足を延ばして、山陰、但馬地域を存分に堪能して欲しいとも思う。城崎を出ると、車窓には、先ほど述べた風景が広がりを見せ始める。特急列車の乗客もほとんどが、城崎で降り、残った人たちは、かなりの山陰通といえる。
 ここからのお楽しみは、何と言っても「餘部(あまるべ)鉄橋」だ。「橋梁」と言ったほうが、正しいかもしれない。というのも、平成22(2010)年8月までは、日本一の規模を誇る鉄橋がかかっていたことで有名で、その旧橋梁は鋼製トレッスル橋で、まさに「鉄橋」だったわけだ。明治45(1912)年3月1日に開通し、100年の間、列車の運行を支えてきた。その間、列車が転落する事故が起こり、犠牲者も出た。今では、より安全で、強度のあるコンクリート橋へと架け替えられ、一部、その旧橋梁を保存することとなった。鎧駅と餘部駅の間に、この橋梁は架かっている。
 餘部橋梁を渡る前に、列車は香住駅に停車。香住と言えば、「カニ」だ。この季節、カニを食べに、多くの観光客が訪れる。列車で訪れる人は少ないのか、下車する人はまばらだったが、ホームでは、カニのマスコットキャラクターがお出迎えをしていた。
 13時14分、浜坂駅到着。乗り心地の良い列車で、車窓を楽しんでいるとあっという間だった。バスや車も良いが、列車の旅は、のんびりと良いもんだ。ここから目的地の湯村温泉へは、バスで20分あまり。ちなみに、浜坂駅は、平成22(2011)年11月に開業100年を迎え、「祝」と手書きの横断幕が改札口に掲げられていた。平成の市町合併で、浜坂町という町名はなくなり、「美方郡新温泉町浜坂」が駅の住所だ。
かにくん(香住駅)
浜坂駅  その名のとおり、駅から少し行くと、日本海を望む浜辺があり、漁業の町として賑わっている。この時期は、何はさておき「カニ漁」だ。駅前には、お土産屋を兼ねた海産物屋があり、軒には日干しした魚がぶら下げられている。軽く炙って、一杯やりたいものだ。
 ほどなく、駅のバス停には、「湯村温泉」行きのバスがやってきた。バス停の前には、足湯がある。これは、昭和53(1978)年に掘削作業中に偶然、温泉が湧き出たことから、その後の記念事業の一環として、設置されたものだ。バスを待つ間、列車を待つ間、町を散策した後など、ほっと一息つきながら、地元の人とも触れ合える憩いの場として人気がある。
 平日の昼過ぎだったが、バスは席がすべて埋まるほどの賑わい。学校帰りの生徒が多かった。病院や老人施設に寄り、市街地を抜け、終着「湯村温泉」に到着。
 町内バスとしての役目もあり、運賃の上限は300円となっている。
 ひとまず、荷物を預けに施設へ行くが、部屋の準備ができているということで、チェックインさせてもらい、ひと休みすることに。自施設ゆえか、アップグレード特典で申し込んだゆえか、ウェルカムフルーツが部屋に用意されていた。素材の甘さが、旅の疲れを癒してくれる。
 入浴開始時間までは、まだ時間があるため、少しくつろいだ後、温泉街を散策する。温泉街といっても湯村温泉は、本当に小さな町で、見るところも少ない。ゆっくり周っても、2時間もあれば十分だ。それもそのはず、荒湯と呼ばれる元湯(源泉)を中心に、半径400〜500メートルの間に、見所が集まっているからだ。たいていの人は、荒湯で温泉卵を茹でている間、すぐ前を流れる春来(はるき)川のほとりの足湯につかり、あとは
全但バス湯村温泉行き
宿でゆっくりくつろぐといった感じだ。見所といっても、八幡神社、薬師堂、正福寺といった寺社がある程度。少し寂しいか。そうそう、湯村温泉で忘れてはいけないのは、「夢千代日記」だ。湯村温泉は、「夢千代の里」として知られている(「知られてきた」という表現が適当かも知れない)が、NHKのドラマ人間模様で放映され、舞台や映画にもなり、吉永小百合が主演したことで一躍全国的な知名度を得た。この夢千代の話は、被爆二世の話で、胎内被爆した夢千代こと永井左千子が、母の残した小さな温泉町の置屋を女手ひとつで切り盛りし、その彼女を取り巻く人間関係、人間模様を綴った病床日記を通じ展開していく物語で、原作は早坂暁氏だ。平成16(2005)年には、「夢千代館」がオープンし、物語のことだけでなく、平和を考える施設としての役割も果たしている。また、荒湯の近くには、「祈 恒久平和」と刻んだ台座の上に、夢千代の像が建てられている。(下の写真の一番右)
荒湯 春来川のほとり 夢千代像
歴史的なことがらに触れるもよし、湯村は但馬地方の中でも、浜坂から20分程度と、つまり海の幸も当然、また山の幸も堪能できる。
 そして、但馬といえば、「但馬牛」。但馬牛は、歴史も古く、そのルーツは平安時代にまでさかのぼるとされている。但馬牛は、兵庫県で肥育した黒毛和種の牛のことで、その規格が一定ランク以上となったとき、神戸牛となるのだ。また、但馬牛の系統は、松坂牛や近江牛など和牛の85パーセント以上を占める名牛なのだ。もちろん、湯村でも、名牛・但馬牛を楽しむことができる。
 温泉街の一角にお勧めの一店があり、今回、わたしたちも立ち寄った。炭火で焼いてくれる串焼きの但馬牛は、1,000円と少し高めの設定だが、食べる価値あり!特製のタレで食べるも良し、また塩コショウで食べるも良し、お勧めしたいひと品だ。
 宿に戻り、ひと風呂浴び、くつろいだ後は、お待ちかねの夕食。「蟹コース」を堪能した。
 目で楽しみ、舌で楽しみ、香で楽しみ、と大満足。お酒も進み、楽しいひと時を過ごすことができた。
 お品がきは、こちら・・・
牛くし
前菜 蟹の陶板焼き  ・ 前菜 三種盛り
 ・ 造里 季節の盛り合わせ
 ・ 台物 甲羅味噌
 ・ 焼物 蟹の陶板焼き
 ・ 鍋物 蟹すき
 ・ 蒸物 蟹身入り茶碗蒸し
 ・ 油物 蟹の天麩羅
 ・ 食事 蟹雑炊
 ・ 果物 フルーツ盛り合わせ

 

2日目・2012.3.7(Wed)
 夜のうちに雨が降り、陽ざしが射し暖かな朝となった。この季節、日本海側の但馬地方では晴れの日は少なく、何ともありがたい。ぐっすり眠り、リフレッシュできた。朝から温泉につかり、爽やかな目覚めとなる。檜風呂の浴室は、檜の心地よい匂いが、日ごろの疲れをさらに癒してくれる。
 湯村温泉の泉質は、PH7.43で低張性・中性高温泉(ナトリウム・炭酸水素塩・塩化物硫酸塩泉)で、湧出時の温度は摂氏98度だ。弱アルカリ泉で、肌に優しくしっとりさらりと湯上り美人になれるお湯だ。日本海沿いの温泉は、肌に優しい温泉が多く、スベスベ感が味わえるので、わたしは好きだ。
朝食の和定食 湯豆腐
 和定食の朝食を済ませ、出発の準備をする。朝食で必ず出るのが、湯豆腐。湯村温泉の名物といってもいい。温泉豆腐といって、湯村温泉の温泉水で作る豆腐は、木綿豆腐だが絹ごし豆腐のような柔らかさがあり、味にも深みがあることが特徴で、湯豆腐でいただくと、また美味しい。朝食に、湯豆腐って良いと思いませんか。わたしは、これが大好きだ。

 

普通列車城崎温泉行き  お土産を買い、施設を出る。湯村温泉バスターミナルを9時35分に出発するバスに乗り、浜坂駅へ向かう。来た道を帰って行くだけだが、妻の職場の方が、この辺の出身だそうで、聞き及んでいた実家があるか見ていたら、バスのとおり道にあったようで、この町にとても親近感が持てた。
 10時17分発の城崎温泉行きの普通列車に乗り、山陰本線を東へすすむ。来る時は特急列車だったが、途中の豊岡駅までは、鈍行列車で向かう。のんびりと流れて行く車窓を眺めていると、時間が経つのもつかの間、11時22分、定刻どおり城崎温泉駅に到着。ここで、乗り換え2駅で、豊岡駅だ。
 豊岡も何度も訪ねているが、ほとんどが仕事のため、のんびり町を散策したことはない。
 駅前の観光案内所(駅が改装され綺麗な高架駅となり、改札の真下にあるため、少し分かりにくい。)を訪ね、出石(いずし)に行くバスの出発時間まで少し余裕があるので、付近を散策しようと思い、お勧めや見所を聞いた。とても親切な方で、いろいろと教えてくださり、助かった。こういう案内所の人の対応ひとつで、町の印象はガラリと変わるものだ。豊岡の町のまさに「顔」は、たいへん素敵な人であった。
 さて、豊岡といえば、「カバン」の生産地として有名だ。人工皮革、塩ビレザー、ナイロンなどを素材としたかばん類では全国の約8割が製造されている。さかのぼること、およそ1200年。豊岡市の九日市(ここのかいち)では、その名のとおり「九日市場」が開かれ、柳こおりが商品として盛んに売買されてい
たという記述が歴史書の中にあり、おそらくこの頃から、地場産業として杞柳産業が発展していたと考えられているそうだ。時代を経て、素材が変わり、今へと引き継がれてきたというわけだ。そして、兵庫県鞄工業組合が定めた基準を満たす企業によって生産され、審査に合格した製品は「豊岡鞄」と認定されている。
 この鞄製品をゆっくり見たく、まず「カバンストリート」へ足を運んだ。この「カバンストリート」は、鞄産業にスポットを当て、販売だけでなく情報発信拠点と位置づけ、商店街のそれぞれの専門店を点から線で結び、エリアを形成し町おこしの一環として取り組んでいるものだ。こうすることで、より魅力的なものへと鞄がクローズアップされ、散策する側も楽しめる。
 時間の都合、そのうちの一つのお店を訪ねた。ここが素敵なお店で、偶然アウトレットで値下げされたビジネスバッグがあり、わたしは一目ぼれしてしまった。妻や母の勧めもあり、購入することに…。ちなみに、試作品で少し傷があるため、値下げしてるとのことで、色合い、フォーム、機能性などとても良い。試作品なので、世界に一つしかないことも、その魅力といえる。ちなみにお値段、10,000円(本来は49,000円)。これは破格!こういう掘り出し物も置いてあるので、是非、豊岡を訪ねた際には立ち寄ることをお勧めしたい。鞄の工房などもあり、見学したり体験することができる店もある。
かばん屋さん
かばんの自動販売機  少し余談だが、こんな面白いものが駅のホームやカバンストリートにある。それは、鞄の自動販売機(写真右)だ。鞄といっても、トートバックの類いだが、ユニークだ。
 店を後に、目的地、出石を目指す。出石までは、バスでおよそ30分。出石と書いて、「いずし」と読む。以前は、城崎郡出石町だったが、平成17(2006)年4月に、豊岡市、城崎郡城崎町、同竹野町、同日高町、同出石町、同但東町の1市5町(城崎郡のうち、香住町のみ美方郡の2町と合併し美方郡香美町へ移行)が合併し、新たに豊岡市として発足し、その一地域となった。
 出石は、歴史的にも古く、交通の要衝としても重要な役割を担っていたが、明治になり廃藩置県で一時的に出石県がおかれたが、すぐに豊岡県へ編入されることとなる。とりわけ、鉄道が通らなかったことから、取り残されたとも考えられる。室町時代には、戦国大名といて名高い山名氏の本拠が置かれ、その後、近世になると小出、松平、仙石氏が相次いで居城、5万8千石の城下町として栄えた。豊岡藩の石高が、多い時期で4万石弱だったとされいているので、但馬地方の中心がどこだったかが良く分かる。
 いずれにせよ、近代化の中で隠れていたことが幸いして、その城下町の風情が壊されることなく保存され、伝統ある町並みを見に多くの観光客が訪ねてくるのだから、何が良かったのか因果なものである。
但馬の小京都と称されることもあり、城下町のたたずまいが残り、町のいたるところで、その歴史を感じることができる。明治4 (1871)年に旧三の丸大手門脇の櫓台に建設された時計台「辰鼓楼」が、出石のシンボルとなっており、観光案内所や駐車場、土産物屋などもその付近に集まっている。ここを起点に、町歩きを始めると良い。わたしは、もう5回か6回(そのうち、仕事が2回)ほど訪ねたことがあり、だいたいの見所は見たことがある。しかしながら、訪ねる度に新たな発見があるので、それだけ魅力ある町といえる。
 時計を見ると、時間は13時を過ぎたところ。散策も良いが、まずは腹ごしらえ。というわけで、出石といえば有名な「出石皿そば」をいただくことにした。先ほど申し上げたとおり、出石には何度か訪ねており、その度に「出石皿そば」も食べている。食べてはいるが、実は、「美味しい!」と思った店はなかった。無類の、とまではいかないが、蕎麦好きなわたしとしては、「出石に来たら出石皿そば」とうたっていながら、「この程度なの?」と失礼だが少し疑念を抱いていた。
 今回は、家族で行くということもあり、少し下調べをして「美味しい」と言われている店を数軒ピックアップし(もちろん、以前に訪ねた店もあった。)、あとは、実際に見て決めることにした。辰鼓楼の近くにある「近又(きんまた)」というお店へ行く。店構えも良く、すぐに座れそうだったので、入ってみることに…。
辰鼓楼
「出石皿そば」は、宝永3(1706)年、信州は上田から出石へ国替えとなった仙石氏とともに伝来したとされ、信州の手法に加え、出石焼といわれる真っ白な風合いが特徴の小皿で提供されることから、「皿そば」と呼ばれ、地名を冠し「出石皿そば」の名で広く知られるようになったのだ。
 待つこと10分、皿そばが運ばれてきた。つけつゆに付けていただくのだが、山芋をおろしたものや生卵をつゆに混ぜ、違った味を楽しむのも「出石皿そば」の楽しみ方の一つだ。まずは何もつけず、そばをすする。「美味い!」−心の中でガッツポーズ。5皿はすぐに平らげ、5皿追加して分けていただいた。山芋や卵を混ぜたつけつゆにそば湯を足し、最後の最後まで堪能。この店は、お勧めしたい一店だ。
近又 出石そば 柳細工
店を出て、ぶらぶらと散策する。柳細工の店があり立ち寄る。豊岡鞄のルーツとされる柳行李も置いてある。手の込んだ作りに、感心させられる。まさに、技だ。土壁の酒蔵、明治時代に郡役所として建てられた木造の擬洋風建築の貴重な建物・明治館をめぐったあと、明治34(1901)年に開館し、歌舞伎や新派劇、寄席、活動写真など但馬の大衆文化の中心として栄えた永楽館へ立ち寄った。
永楽館  この施設は、平成20(2008)年に大改修を終え、明治期の芝居小屋として見学できるだけでなく、実際に歌舞伎や落語などが行われ、文化の拠点として昔の賑わいを取り戻している。ここは今回、初めて訪ねたが、貴重な財産であり、見る価値が十分にある。舞台裏にも入ることができるので、面白い。普段は、お茶や弁当を売る売りり子が歩く、平桟敷の仕切り板の上を歩いたり、見るだけでなく、観劇者や演じ手、裏方など様々な視点で、劇場を楽しむことができる。まだまだ見所はあるが、時間の都合、これでおしまい。また時間をかけて、訪ねたい。
 バスに揺られること30分。買った鞄を受け取りに、店に立ち寄り、駅まで商店街を歩く。商店街の途中に、豊岡市役所がある。この市役所の本庁舎は、昭和2(1927)年に竣工されたもので、老朽化のため取り壊し新庁舎を建設することが検討されたが、
本庁舎を保存し町づくりの拠点として活用することとなった。そこで、本庁舎の補強工事を行い、少し移動し、本庁舎の跡地に新庁舎を建てることになったのだ。本庁舎を移動?−そうなのだ。写真では分かりにくいかもしれないが、曳家工事といって、建物を移動させたり、建物を回転させたり、建物を持ち上げたりする工事のことで、様々な手法を用いて、そのままの姿で、新たな場所へと移動させるわけだ。実に素晴らしい。色んな技術があるもので、そういった技術により、大切な建物や文化財が保存され、そして活用されるのだから、誇りに思う。
 豊岡駅17時28分発のはまかぜ6号に乗り、帰路に着いた。1泊2日の旅は、あっという間に終わった。兵庫県北部の但馬のほんの一部を巡ったにすぎないが、改めて兵庫県の広さを感じ、また魅力も知った。日本海側と瀬戸内では、全く違った顔を持つが、
豊岡市役所
兵庫県民として親近感もあり、様々な文化が育まれてきた歴史があることが分かり、その良さを発信し、たくさんの人に訪れてもらいたいという風にも感じた。
 他にも素晴らしい町や遺産、文化、そして美味しい食べ物があるので、ゆっくりと訪ねてほしい。機会があれば、これからも旅をし、そして紹介していきたい。皆さんも是非、但馬を堪能する旅に出かけてみて欲しい。

 

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